2017年4月27日 (木)

この「今の安らかさ」に意識を合わせる

ニュースを見るたび、北朝鮮がいつ日本にミサイルをぶち込んでくるかと とても心配怖くて仕方ないと言われた方が居ます。でも 個人ではどうしようもないこと つまり、手の打ちようがないのです。その どうしようもない事に心を捕らわれ恐怖におののいているより、いま 現在は平和で なんでもないのですから、この「今」に意識を合わせ、この平和を味わっていることが大事。心の波を穏やかにしていることがやることー。 この類いは、日常生活の小さなことの中にも起こしています。「今」は何でもないのに、この先 こうなったら ああなったらどうしようと 勝手にマイナスを描いて 恐怖を呼び込んでいるのが人間、 そこには、事が起きてからでは間に合わない と言う思いが潜んで居ます。そんな事はありません、 本当は、事が起きなくては、それに対しての対処の方法は生じてこないのです。 それより、マイナス事が現実に来ていないのに心を波だてている方が怖いのです。何故なら、 マイナスの波動は強いのでその現実を作りやすいからー。 今 なんでもない平和な現実に常にフォーカスしている訓練を積む事は 日常生活に大きな 差 をつくっていきます。 運転免許がよい例です。 自分で運転不安を感じるどころがあるならわかりますが、全くそれがないのに、事故を起こしてからでは間に合わないと免許を返上して、大変不自由をかこっている、 今 何でもなく正常に運転出来る自分を信ぜず、「事故を起こしてからでは」と事故を起こすことを前提としている思い まあ こう言う思い方の人は、事故を起こすイメージをを持ってるので、その方が安全かもしれませんがー。まだ 起きていないマイナスに意識を合わせて恐怖におののいて大事な時間を費やすのは如何なものか と思います。

2017年4月20日 (木)

「私は 幸せを選ぶ 」決めること

近所のM家で、生け垣を立派な石垣に仕立て直しをされていますが、お隣りになるF家と堺のことでトラブルになっているとのことを小耳に挟みました。と、F家の当主に出会った時私も堰を切ったように、ああで こうで こうされて 腹が立って夜も眠られず体調まで崩したと 聞かされました。一通り話が終わったところでわたくしはいいました。「もし 私だったらなんともおもわない」 とー。「えつ!なんで?」 「だって、お互いもとは農家、宅地は広く堺が5・60センチ出ようが 引っ込もうが生活にはなんら支障もない。それなのに、そこに心が引っかかって体調を壊すなんて、愚もこっちようと言うもの」 お互い、ああされた こう言われたと「れた」と言う言葉を使って被害を自分で引き入れています。ああした! こう言った!とすれば目の前をさっと通り過ぎるものをー。例え、相手がズルで進入してきたとしても、その ズルを発したエネルギーは必ず 発信とに帰っていくだけ それが宇宙の法則と言うものー。それを、自ら被害者意識を持ってああされた こうされたと不快感を己れの中に生じさせ、体調まで壊していては 笑い話にもなりません。
人は、誰しも幸せを心の何処かで願っています。が、「私は、幸せを選ぶ」と決意をしている人は少ないあど思いました。 その決意を持っていれば、生活に全く支障をきたさない事に引っかか理、悩み いきどうりなどして、幸せ感から遠う退くことを 自分に許したりはしません。!私の意見を聞き入れたF家の当主は「ありがとう!話を聞いて心がスッキリした」と言ってれました。常識を判断の基準にするのでなく、要は 「私は 幸せを選ぶ」と言う意識をはっきりもつか どうか それだけのことー。幸せとは、与えられるものでなく!自分が選びとっていくものでず

2017年4月13日 (木)

思いが来たらすぐ行動

桜の花も満開になったと言うのに、どこか底冷えがしていて空気が冷たい、そんな中 二カ月弱に一回の定期健診に医院に行くのが億劫になつろていました。朝の仕事としている散歩を終えて コタツにごろりとひっくり返り少しうとうとー。はっきり目覚めたら12時17分前、今日は医院にでもいくか と診察券を見ると、😐午後から休診日 アヤー 時計は2分を切って12時15分前、いますぐにいけば間に合うかーと車に飛び乗りました。途中 私のラッキーナンバーとしている11の数字の入った車3台と出会い、これは 間に合う と言う印とばかり飛ばしていくと間に合いました! 待合室には誰もおらず、私が腰を下ろすと、クロスのふだが玄関扉に下げられました。 おかげで待たずに診察をうけられ、こうして 億劫に思っていたことが一つクリアでました。思ったら 即実行 は効を奏したのです。 12時^_^前の15分を迷っていたら、すぐかき消えてしまう時間 それを活かす行動は大きいです。 それには、思いがきたら 迷いを寸分も入れず、間髪行動に移すことを、常に意識に入れておくことです。毎日の行動に、大きな開きとなりますから〜。

2017年4月 5日 (水)

悲惨なニュースを目にして

41才の息子が70代の実父を刺し殺したと言う、なんともやりきれないニュースが流れました。 働かない息子に、働け!と厳しく言っていたことに対しての恨みの犯行とか〜。40代に入った働かない息子に、ヤイヤイ言いたくなる父親の気持ちもわかります。
この息子が赤ん坊の時は、まさか、この赤ん坊に将来我が身カが殺されるであろうなど夢にも思わす一生懸命育てたのでしょうにー。しかし、 息子は、働かない大人に育ちました。
この、長い年月の間に働けない何かが 育つてしまったのでしょう。
その結果だけ見て、働け 働け とはっぱをかけられたことにきれてしまったと言うこと〜。
だが、自首したと言うことは、とんでもないことをしてしまったと言う自覚はあるのでしよう。なんとも 悲しい親子です。
父親は、他ならぬ我が子に手をかけられたのだから、もって名すべししかありません。子は生涯十字かを背負っていくのは当然のこと〜ただ この悲しい捨て石を無駄にせず、私たちはここから学ばなくてはなりません。
それは、我が子であっても、わがものではないと言うことを、身に沁みこませること〜。
尊い 命を 戴いた この命をあるがままに全うさせることが 育てると言うことで、自分の思うように操ることではないことを、本当に自覚することです。
一つの命をあるがままに全うさせると言うのは、一大事業です。

この息子の命の芽は曲げられ 曲げられて遂に折られてしまったのです。この 折られてところから、どう命の芽が吹き替えさせられるか これは難事業だが、本人 やるしかないでしょう。
世の親たちよ!もう一度我が子を手にし、大自然に託し、あるがままに育つていくよう祈って下さい! もし、苦しんでいる我が子がいれば、そのくるしさをどうかしてやろうとするのでなく、 ああ いま苦しいんだね とそのまま認めのてやるだけ。子は 親が自分の苦しさを認めてくれた わかってくれた安心感から 自ずと息を吹き返していきます。
これが あるがままの姿 と言うものです。

2017年3月29日 (水)

つれづれに

お彼岸も過ぎて、桜の便りもちらほらー春のの兆しは見えているものの、芯の冷たさは抜けず早く本格的な春が望まれます。私はこの頃意識して頭で考え図、感じタママに行動するようにしています。「何がしたいの?」と自分に問うと、大概「コタツにひっくり返る」と体が答えてくれるので、ばたん! と 間も無く軽いなんとも心地よい睡眠がおとづれ幸せ!このまま寝たきり老人をやつていたら弱るばかりなどと言う余計な思いは一切思わず、満ち足りた思いを充分に満喫 目を覚まし サテ この次はと 問うと車で2 ・30分の所の友人をたづねることと感じたので早速連絡して車を飛ばしました。私と同年代の一人暮らしの方、ご自分の生活をしている一間だけ雨戸を開け、あとは閉めっぱなしなので 暗い雰囲気、客を迎える準備にも「おや!」とちょっと首をかしげる感じ、早々においとま、ただ直ぐに感じたままに行動を取れたことに満足、この 感じたままに行動は、体感力を養い促進するようです。そして どうやら、気の流れをも調整するように感じます。

2017年3月22日 (水)

「九〇歳のブロガー」 これでいいのか?

「九十歳のブロガー」と言う見出しで、昨年の秋に続いて二度目のインタビューを他社から受けて街ののミニコミ紙にのりました。 90才 と言うのが余程めづらしいのでしょうかー
ここが問題というところ、 年齢を重ねると全てが衰えると言うのが自他共にの通念なのでしょう。そこに、高齢者問題の解決の鍵がありそうです。何十歳になろうとも、年齢には関係なく、やりたいこと、興味をもったことに挑戦していくその気概をなくし、もう年だからとみづから門を閉じていく人がいかに多いかということが」九〇歳のブロガー」という見出しになるのだと思うのです。 これは少々悲しい〜〜何故自分から門を閉めるのか〜。
確かに 体力の衰えは感じざるを得ませんが、脳は幾つになっても衰えないと言います。使っていればー。 興味しんしん、目はキョロキョロ、鼻はヒクヒクとかぎまわり、生の終わりの緞帳が宇宙から降ろされるまで、生 を満喫しようではありませんか お年寄りたちよ!「九十歳」のブロガーがめっらしくないように!。

2017年3月 8日 (水)

石原慎太郎氏に思う

多くの注目された、石原氏の記者会見は終始自己弁護に終わったような記事が各紙にのりました。わたくしのところの 毎日 は太文字の大きな見出しで
石原氏 行政全体の責任 とー 俺だけの責任ではないと言いたげな、
しかし、行政全体の責任をおおうのが〜知事という座であろうと思うのですが〜〜そして それより少し小さな字で 交渉は副知事に一任 とー〜。一任した責任をとるのは誰???。
文才があることと、その者の人間の器の大きさは違うのだと知りました。
彼は、いつも辛辣な言葉 文章を発していましたが、いざ、自分に矢が向けられると、逃れることにおおわらわ〜〜。
辛辣というのは、その土台は攻撃に立ちます。つまり、やられる前に相手を倒すと言う姿勢、それは 倒れる自分を怖れています。というのは、器が小さいからだと思うのです。
大きな器の人物は、倒れないので!どっしりしています。相手を倒す必要がないので穏かな雰囲気です。。全責任を取れないなら、トップの座には付かないことです。
今もって、自己の責任より、現知事の批判の言葉の矢を放っています。己の放ったエネルギーは必ず己れに戻る宇宙の法則が、テレビに映し出される彼の歩きかたに出ています。
有終の美派、器の大きな者だけが飾れることができるのかもしれないと思いました。

2017年3月 4日 (土)

思いの力

ある場所へ一緒に行くことになっていたkちゃんから電話が入りました。
「おじいちゃんが右大腿骨折で手術になった」 とー。
82才の父親、 それはやばい!歩けなく成るかもしれない。 医師にも言われたとか、「歩けなく成ることを覚悟してください」とー。「最終的に 施設を希望しますか?自宅を希望しますか?自宅を選ぶなら、本人の受け入れ条件が整わないと帰れません」とまで〜
kちゃんは、いよいよ仕事を辞める時が来たかと思った と言ったので、「あなたが今一番やりたいことは?」と聞くと、答えは 仕事 、「それなら仕事はやる と決めること、そして、 おじいちゃんは完全に治る と一ミリもマイナスを思はないこと、 私も朝昼晩 と 宇宙エネルギーを回し送るから」というと「わかった!」ときっぱりの返事。
術後二日目には、予定では一カ月後のリハビリには入り、三日目には車椅子 ベッドから立ち上がれ四日目には、棒につかまって歩行のリハビリと、医師たちも驚きの連続!奇跡のような回復ぶりに 私たちもひと安堵!
これは、kちゃんのマイナスを一切入れない思考が、送られてくる宇宙エネルギーの働きを100%活用できる 思いの環境作り が出来た結果だと思いました。
今更ながら、おもいかた 思考の 大事さを見せつけられ、本人は痛い思いをしましたが私たちは貴重な学び 体験の場を与えて頂きました。
日毎 回復街道をまっしぐらに突き進んでいます。

2017年2月28日 (火)

どこを判断の基準に

T子さんが、電話口で、かなり迷っている思案顔の様子、 それは、蓄電器のセールスマンの四時間もかけての説明に、聞けば聞くほどなるほど!ご最もと納得のいくことばかり、ただし 価格は相当なもので、今 ローンをかかえ、二人の子供は学費のかかる真っ最中、それを求めるには、彼女のバイト先をもっと率の良いところに転職しなくてはと思う程〜〜。
セールスさんのとどめ言葉は、「今がチャンス!枠を空けておくから、今日中に答えを〜」と。 それを聞いた私 「その蓄電器は、災害に遭った時は と災害を予想して必要なものよね」と言うと、彼女、「あっ!」とそして、「今 霧が晴れました!」 とー。そして四時間もかけて説明してくれたのにと言う義理感情ー、 でもそれは、セールスさんのお仕事、こちらが頼んで長時間いてもらったのではないので その感情は不要、ということで彼女の決断はスッキリ スッパリと決まりました。
このケースは、今がいっぱい いっぱいな経済状態なら、今 を大事にー 今 を判断の基準にもっていくこと〜 将来起きた時の判断は怖れが元に成っています。
「思考が現実に成る」の法則を当てはめた時、「今」をとるか まだ起きていない「災害」をとるか余裕ある経済状態ならそれもいいかもしれませんが、大事なのは「今」その「今」を犠牲にして、呼びこむかもしれない「災害」を選ぶのは?????
T子さんの心の奥の魂は、「今は お断りを!」と言っているが、😙聞かされたご最もな条件、説明に四時間もかけたことへの思いが覆いかぶさっていたのです。
迷った時程、余計なものは 皆取り払って、最も大事な芯を見失わず、そこを 判断の基準に_することが大事だと思います。

2017年2月15日 (水)

己れを小さく限定するな!

あなたは、ご自分を もしかして、「取るに足らない者 つまらない者」と 思ったリ、言葉に出したりしてませんか? もし そうだとしたら とんもない! 取るに足らない人間、つまらない人間なんておりません。生まれてきているというそのことが、もう すでに 取るに足る人間なのです。 なぜなら、 私達は 宇宙の子 宇宙の表現体だから〜。その自分を己れの手で小さく限定しないこと。どんな力が潜んでいるかわからないからです。
私は、七十代に差しかかろうとしていた頃、ぽっと胸に湧いてくる言葉を急いで書きためたのを「あのね」と言う表題ではじめて出版して以来2年毎に5冊出版しました。またその頃、私の最も苦手としていた「絵」の個展を開く羽目になりました。 本の出版、 個展の開催など考えてみたこともありませんてしたのに〜〜。ちなみに、「あのね」の定価1000円の本が現在ネットで36000円の値がつけられているとかでビックリ!七十代にしてこう言うことが起きたのです。90歳になった今でも、自分の可能性を探している自分があります。。。
いつも、ニコニコしているその笑顔で、周りを癒している存在、何時も元気なオーラをふりまいて、周りを元気にする存在、と、ありのままの自分で互いに影響し合っている、要は そのままで、光リ輝く星星になっていること、 それには、みづからの手で「つまらない人間 取るに足らない人間」との雲を覆い被せないことだと思うのです。

«宇宙からのサインは「これ」って決めておく