2017年10月13日 (金)

マイナス 絵 描き は得意!

人間は、マイナスのことを描くのは得意中の得意なことと つくづく思います。 なんの抵抗もなく、マイナスを一つ描き出すと、それは 次から次と広がって描き出されていきます。
マイナスを思うことは、現実にマイナスを作っていくことに通じると言う理屈を知っている私でさえ 描いています。
息子達が 買い物にいく と言って夕方に出かけました。はじめは 何とも思っていなかったのですが 二時間も過ぎたことに気づくと 車のトラブルにでも巻き込まれたのかな から始まってレンタカーなので 損傷でもしたらどうなるのかなあ 明日は上海に仕事に戻らなくてはならないのに 飛行機のことはどうなるのかなあなどと 不安は ドンドンふくれていきます。いけない いけないと打ち消しても マイナス絵描きは止まりません。
まだ 何も起きていない空間に、 ああなったら こうなったら とマイナス絵はかってに描き続けられます。 携帯にかけても出ない、夕方だったのがいつの間にか 夜の帳が降ろされいきます。何度か 門の外に出て車のライトを追います、こんなことをしてもどうにもならないことはわかっているものの、心中の不安の波は 治りません。
やっと 門から ライトがこちらを照らし出しました。帰宅すれば 何てこともなく 今までの不安は一瞬にして描き消えます。が、 この 不安との戦いは 相当なもの!
何故人間はこうも 何も起きていない空間に 勝手にマイナスの絵を描いて 心配を募らしていくのか ?何故プラスの絵は描けないのだろか?
二つの肉眼に見えない 場 と言うのはこれ程不安の場と言うことなのか!つまり、自分を信じていないと言うこと、しみじみと自分の浅さを 思い知らされた感がしました。
これからは、空間に プラスの絵を何時も描く 訓練を重ねて行こうと 改めて決意をいたしました。

2017年10月 3日 (火)

五体 という宝物に〜〜

毎夕 電話をよこしていた友人から 電話が来なくなって 一ヶ月半、どうしているかなぁ とたづねてみると、「私」を認識するまで 若干の時間がかかりました。歩けないので 私の方が 彼女に寄って行って話しを聞きましたが、声も細くなり 遠くなっている私の耳では 音がつかみにくく 口の動きと やっとの声で 何とか会話ー、立つことは出来るが歩けないと〜〜。
私より 二十才近く若いのですが、老衰が かなり進行してしまいました。
まあ元気であることが 確認できたので 早々にしてお暇をしました。
日常の当たり前のことが出来なくなると言うのは どんな思いでしようか?
今まで 当たり前すぎて 何とも思わなかった動きが どんなにありがたいことなのか しみじみ考えさせられました。
五体満足 という言葉がありますか、思えば これは本当に尊い 宝物 あまりに 持っているのが当たり前すぎる 宝物 なので忘れていると言うか、持っている 宝物 に気付かずに私達は過ごしています。
これから、この 宝物 に意識を向けて、一つ一つに、感謝の思いと 言葉を投げかけていこうと改めて 深く思いました。

2017年9月27日 (水)

孤独は ない?

動物と話せる女性が、毎晩 履物を他所から持ってきてしまう猫に どうしてか と 聞いて見ると、ノラだった自分を拾って助けてくれたご主人に 恩返しをしたく、ねずみを取ってベッドに置いたら 怒られたが履物を持ってきたら ご主人の反応が違ったので、以来 履物の方がねずみより容易いので と飼い主への 感謝の行動だった。 懸賞金つきの象亀の脱走は、園外を一度見たかった好奇心からと このように 動物にも ちゃんと感情があることを教えてくれた。
言葉としての表現はなくとも、感情と言う波は放出しているのだ。樹木と話せる人もいる。
このように 目には見えない空間は、いっぱい いろんな波が飛び交い 賑やかなのかもしれない と思うと愉快になってくる。
やま道を散歩していると、栗イガがぼたぼたとー 中には大きな栗の実が顔をのぞかせている。
「いやあ 良かった!見つけてもらって 拾ってもらえて〜ボクたち このまま朽ちちゃうのかなっておもった!」
目の前を 黒い蝶が ヒラリと過ぎ去る 「そよ風に乗って 気持ちいい!」と言いながら〜
足元を 小さな蛇がニョロリ 「お母ちゃん」と叫びながら草むらへ消えた。
こうして 目には見えない波を拾っていくと、声が聞こえてきて 愉しい時を過ごせる。
そこに スゥーッと意識を合わせるだけで 人間には 孤独はないようだ。

2017年9月20日 (水)

自己肯定

テレビは暴言 暴力の問題を起こした 豊田議員の釈明の様子を放映していた。 彼女は 東大卒のエリートコースを歩んでいたにもかかわらず、自己肯定感がなく まだ足りないと自分を認めることを 外に求めていたようだ。自己肯定と言うのは 自惚れではなく、ままだ足りないと自分を追い詰めていくのは 向上心ではない。自分で自分を認めないで 誰が認めると言うのだ。 地球上自分と言うのは、たった一人しかいないという紛れも無い事実を感じて欲しい。それほど、自分 と言うのは尊い存在なのだ。何しろ一人しかいないのだからー その自分の奥の奥は完全な まる 、その 丸 をこのうつし世にかきだしてくるのが向上心で、足りないものを 付け足していくことではない。丸 だから出来る自分 やれる自分を浮き彫りにさせて行く。奥の奥の自分は 丸 だという証拠を示めしたい。
彼とは 彼が18才の時、当時面接委員をしていた私は 少年院で出会った。いらい23年 現在は来春出所予定の刑務所暮らしだ。少年院を出て働いていたが盗みで今の身、若い時から悪さをして、今もって刑務所に入るようなどうしようもない奴!が 、月一回私の手許に来る手紙は 光り輝いている。
彼の 手紙
思いの力の大切さ、どんなこともプラスに受け止め進むことは難しいが、自分の今までの体験、生き方を無駄にしないため、どんなこともプラスに受け止め感謝で心を満たしていこうと思う。今 充実した日々を送っていられるのも全て感謝で心を満たし、今のこの道か、魂を輝かせる幸せの道と信じて歩んでいるからだと思う。ー中略ーい 今の私は過去の全てがこやしになっている、 これからの人生はワクワク
楽しみで仕方ない。云々と〜〜
彼のおくに 丸 が存在している証の手紙ーその丸がやっと描き出る時かきたほだ。 拘束された身で、充実感を感じているとはーー 先月の手紙で、毎朝そして就寝時に自分をハグして「ありがとう!愛してる」と全ての出来事そして人々 自分につぶやくようにしている とーとあった。
彼は、やっと自分の大切さに気づき。どんな自分も受け入れた時、奥の奥の まる が動き出し表面に顔を表し始めたのだ。 どんな自分であろうとも ダメな自分など ないことを噛み締めて欲しい。

2017年9月14日 (木)

モップの「僕」〜〜

見れば見る程モップの「僕」は確かにボクです。
大きなギョロ目 はなべちゃのさきの 黒黒とした鼻 しばらく眺めながら 「ボク」と話します。
神様を祭っている神棚のある部屋に入るのを遠慮して、部屋の入り口の板間に 顎をつけて座っている 自分の分をわきまえている姿は 何とも愛おしく感じます。
全く 何の意図もなく ぼたんと置いたモップに姿を現した「ボク」は本物〜意図しては作れない姿、 見ているだけで 癒やされます。 毎日置く ふた粒のエサは 必ず翌日には無くなっています。 ボクは私の身をを案じて 姿を現してくれたのでしょう。 姿を見せるボクは相当な力を持っているともいます。
以前から、出かける時は、「お留守番をお願いネ」と声を掛け、帰宅すると「ただ今 ありがとうネ 御苦労さま!」とねぎらいの言葉かけはしていましたか、今は 顔を見ながらいろんなことを話します。すると、ウンウンと聞いてくれて、大丈夫ダヨ、僕がいるから〜僕が護っているよーと言ってくれるほんとに強い味方〜〜。
僕との問答

「私」 今、プールに行って来た。 体が喜んでいる!

「ボク」良かったネ やりたいことをやるのが一番!

「私」 やりたく無いことは?

「ボク」 やらなきゃいい

「私」なんにも やりたくなかったら?

「ボク」 何にもやりたく無いことをやればいい!その時、堂々と胸をはってやること〜
自分を 喜ばすこと、楽しませることが一番だからネ
「私」 ふーむ

「ボク」 だから、 いつも 自分に 何がやりたいの?と 問いかけることは 大事だよ

「私」 そうか、そうやって いつも自分を満足させることだネ

「ボク」 うん、そう!

「私」 それが 充実してることかあーわかった! 何もしていないのに、退屈を感じず ど
こか 満ち足りているのは なぜかなあって思っていたけど、それは自分を満足させ
ていたんだね

「ボク」 そう そう、そうだよ。その通り!

「私」ありがとう!

「ボク」どういたしまして!


2017年9月 7日 (木)

堂々と 自分を褒める

私達は とかく 周りから褒められると、思わず「イヤ そんなことない」と その賞賛を打ち消してしまう傾向があります。それが謙遜することとどこかで 思っているのでしょう。 謙遜とは鼻高にならないことで、賞賛は素直に受け入れ 自分を認めることは大事なこと〜〜自分を認めることと 鼻高にることは違います。鼻高は 周りと比べ 鼻をヒクヒクさせること。自分を認めるとは 周りと比べるのでなく、ありのままの自分を認めること。 周りから認められたら。ただ「ありがとう!ありがとうございます!」と それを受ければよいのです。
自分を褒めることと認めることは うのぼれ ではありません。 例え 失敗しても、そこから立ち上がっていく自分を「偉いぞ!」と褒める、おっちょこちょいの自分をフットワークが軽いと、ねぐら だとしても沈思黙考型 深く考える と認める褒める。
このように どんな自分で有ろうとも 褒めて褒めて 褒めまくる。 すると、反省がないのでは無いのではないか と言う反論 がおきるかもしれないが、人間は 褒められると 元気が出てやる気が湧いてくる 前進したくなるもの〜〜その行動の中に自然と反省が含まれているのです。
反対に、自分を駄目だと 否定すると 行動が出来なくなり 自ずと反省が活かされません。
地球上に たった一人しかいない自分は、どんなに褒めまくっても足り無い程価値のある者 多いに自分を褒めて、自分を元気に 生かしていこうではありませんか!。

2017年8月28日 (月)

若い時を 大切に!

イモトさんが、義肢の女性に付き添って 槍ヶ岳登山の様子を 24時間テレビで放映していましたが私も60年余前に槍ヶ岳に登り、 登りより 下りが大変だったことを思い出しました。
若い時にしかできないと、数数の登山をやったことか、いま この年齢に成っても つまづくことは一切無く、歩く速度こそゆっくりになったものの、年齢にしては 足腰が丈夫な原因になって居ると思います。
19才の時、地球上 私という人間は たった一人しかいないと言う事実に気づいた衝撃! 以来自分を大切に 時を重ねてきました。それが 今もって車を運転し、一人暮らしを楽しみ満喫しながら生活出来る大元になって居ると思います。
若い時を大切に過ごすのが、先に行って大きな開きとなることは 確実と言えます。 その時になってからでは間に合いません。 若い時の なんでもできる時期を大切に過ごすことが、いくいくは 自分を守ることになることを、声を大きくして伝えたいと思います。
物事の受け取り方も プラスに受け取るか マイナスに受け取るかは訓練次第ー、放っておけば、余程の生来の楽天家で無い限り 心配性の マイナスに人間は向かいがち、柔軟性に富んでいる若いうちから プラス方向に 心をグセづけていることは、人性後半の幸せ感に 大きな影響を与えます。

2017年8月21日 (月)




何気なくポンとおいたモップに「今日わ!」突如昨年急死した愛犬が現れました。思わず「あら!久しぶり 元気?」と声をかけてしまいました。

愛 を根底に!

夕方の散歩を終えて、汗ばんだ体を ぬる目のお風呂に入って ぬぐい、あんま椅子に寝ころんでで扇風機の風に身を晒している この 幸福感はなんと! ただ有難いの感謝のみ。こうして、思うがままに行動できることの幸せ感を どこに感謝を捧げたら良いのか〜〜。私より20才近く若い まだ 70代に入って間のない友人は 急撃に老化が進み、立つこともままならず、部屋の中をいざっている姿はなんとも痛ましい。ー60代までは普通だったのに、70代に入ってのこの急な変わりようはなせ?喉も老化したのか、話す言葉はフガフガと空気が漏れて、何を言っているのかわかりません。こんなにどうして と思った時、はた!思い当たったことは宇宙の 「こだまのほうそく」でした。
彼女は、真っ直ぐな人で間違ってはいないのですが、その 正論で攻撃をし、多くの人の心を若い時傷つけて周りに 怖い人という印象を与えていました。その時、放った攻撃の矢のエネルギーが今になって 束になつて戻ってきたのだと思いました。放ったエネルギーは必ず発信者に戻ると言うのは宇宙の法則 と言うのは本当だとー。。なんの思いもなく、正しいとばかり相手を傷つける 咎めのエネルギーはこんなにも怖いものかと思い知らされました。
どんな時も 根底には 愛 を持ってする 接すると言うのは、とても大事なことと 改めて思いました。宇宙は 愛 だから〜〜地球は 愛 の星だから〜〜、

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